【やまパレ書房】単独行者(アラインゲンガー)新・加藤文太郎伝(小説)


孤高の登山家、加藤文太郎を新たな視点から見つめた物語。出会う人が様々な印象を抱くように、新田次郎とは違った目線で加藤文太郎の人生を見つめる。

他の誰とも違わない、ズルくて不器用で、純粋な人間なんだ。


単独行者(アラインゲンガー)新・加藤文太郎伝

舞台となる山(読後に記憶に残ってる山)

槍ヶ岳。氷ノ山や伊吹山あたりも記憶に残っているけれど、まぁ、槍ヶ岳ですわ。

実在の人物をモデルにしているので、新田次郎の「孤高の人」と被るんですが、読後の印象に残る山は違いました。

「単独行者(アラインゲンガー)新・加藤文太郎伝」と私

新田次郎の孤高の人を読んだ後、というかセットで読む人多いと思います。さらに今度は加藤文太郎本人著の「単独行」を読んで、やっと一息つけるわけです。

まず言っておきたい。題名が長い。メインタイトルは「単独行者」であり、残りはサブタイトルだと思う。その上で、サブタイトルの「アラインゲンガー」と「新・加藤文太郎伝」の関係性というかなんというか・・・。

本人著の「単独行」と間違えやすいので、メインタイトルの「単独行者」ではなく、「アラインゲンガー」とここでは呼びたいと思います。

「アラインゲンガー」の感想・・・、どうしても新田次郎の「孤高の人」との比較となりがち。しょうがないです。実在する同じ人物を取り上げながら、「捉える人が変わるとこれほど違うのか!」と思うほど、キャラ設定が違います。

「孤高の人」の後に「アラインゲンガー」を読むと・・・

  1. 意外と友だちがいる。っていうか単独に対して頑なではない。
  2. 吉田(孤高の人では宮村)に救いがある。っていうか読後感がイラつかない。
  3. 本人、けっこうダメ人間。っていうか普通の人間であることにホッとする。

この3つが大きく残った私なりの印象。

1.意外と友だちがいる。

山岳会の人とは結構話を交わしていて、顔も広く、山へ行けば出会った人と話したがっている描写があります。「あわよくば一緒に」なんて思っている節もあるどころか、実際に一緒に登った経験もあって「またこの前みたいに・・・」なんていうこともありました。横尾あたりの山小屋の描写で。

「決して取っ付き難い人ではなかったんじゃないのか?」と私は感じました。

私が山へ行くとき、大体において一緒に行く人はいませんが、道中に出会い、言葉を交わした人は良く覚えています。そこに「俺と同じなんじゃないか?」と思うわけです。性格の部分で。

山に興味のない人に「山、行こうぜ」とは言えません。山に興味のなかった3年前を思い出すと、もし言われても「何言ってんだコイツ。バカじゃねえの? 登って降りて、何が楽しいのよ」と感じていたと思います。

だから一人で行きます。

山で偶然知り合った人に対して、後日こちらから誘うことはできません。「足引っ張っちゃって迷惑かけるわ~」とか「邪魔になっちゃうわ~」とか思うわけです。

だから一人で行きます。

そのくせ、山で出会ったその場所では、楽しい思い出しか記憶にありません。大好きな山のことばっかり話せるし、そこまでそれぞれの予定で行動していたので、その後もそれぞれの予定に従えば良いですから。

そんなところで、「アラインゲンガー」の文太郎には、「孤高の人」にはない親密さを感じます。

関係ないけれど、この間友だち何人かで飲んだ時の話。正直言って私は山の話しかしたくない。でもある友だちの話が面白くて(中国の風俗事情)聞いていたのに、別のヤツが関係ない話題で話の腰を折ってくる。つい言っちゃいました。「俺は山の話しかしたくないのに、中国の風俗の話に今、夢中なんだ。邪魔するんじゃねぇ」。中国の風俗に造詣の深い友人は「俺も本当はドローンの話しかしたくないのに、今、中国を思い出してノッてきたところなんだよ! 邪魔するんじゃねぇ」。

その後、山の話しかしたくない私と、ドローンの話しかしたくない友だちと、まったく関係ない中国の風俗について思う存分語らいました。

吉田(孤高の人では宮村)に救いがある。

物語として分かりやすい展開は、主人公を善として、対抗となる悪をつくること。

そこで「孤高の人」では、「かわいい登山家さん(石原さとみの声で)」である宮村がとばっちりを受けたことを感じました。

それまでかわいい後輩だった宮村の、最後の槍ヶ岳北鎌尾根プランに対する豹変っぷりは怖い。その迫力に呑まれ、流され、北鎌尾根に突進。死ぬ間際、それまでの威勢はどこへ行ったのかと思うほど、弱々しくなった宮村の豹変、再び。

この終わり方が、「ちっ!宮村さえいなければ、文太郎はもっと名を残せたんじゃねぇのかい?」と思っちゃうわけです。

ところが「アラインゲンガー」では特にそのような描写は見当たりません。

むしろ文太郎が決断し、しかし吉田を尊敬しつつ先輩としてリードしている感じがしました。

そもそも文太郎が吉田を誘って穂高に行って、「吉田の岩登り上手い! 俺、足引っ張っちゃってる!」ということもありました。

読んだ後にイラついた感じはありません。

本人、けっこうダメ人間。

実家の親父の病状悪く見舞いに行くくだり。

会社には見舞いということで有給休暇申請。「見舞いだから堂々と。当然山には登らん」と思いつつ、「実家にいてもやることないし、ちょっとだけ・・・」と2~3日の予定で山へ。頂上ついたら「あっちも行ってみたいなぁ、間に合うだろうから行っちゃえ」と新たな行動に移ると遭難。そして復活。「今、まっすぐ帰っても実家に着くの早すぎるから、ちょっとだけコッチの山へ」と再び新たな行動。結局「夜になっちゃった。無理は禁物。今日はここでビバーク」「1日遅れも2日遅れも一緒。会社にさえ遅れなければ良いから予定変更。今日はアッチの山へ」「どうせ会社は午後出勤になるから・・・」

ダメ人間ですね。私と同じです。

このクズっぷりに、多少はイラつきますが、私の場合はそれよりも「あ~、あるある」と思ってしまうので、結局文太郎の印象について、「普通の山好きの人なんじゃん」、「あるいみ人間として正直だよな」と感じました。

物語の王道としては、主人公はヒーローでなくてはいけない。でも「アラインゲンガー」では普通の人を感じさせます。

 

ちなみに、「孤高の人」を読んでいるので結果も途中も「聞いたことあるな」と言う描写が多いのですが、それでも最後まで一気に読まされる作品だと言っておきます。

禁断の勝手キャスティング

「孤高の人」とはキャラ設定が違うので、ドラマ化を妄想したときのキャスティングも変わります。

※ここから先は、まだ読んでいない人にとって先入観を植え付ける恐れがあります。

加藤文太郎(上川隆也):主人公。山好き。先輩。人間の弱さが出ている。

 

吉田富久(伊藤淳史):かわいい後輩。チェリー。若い。

異論は認める。むしろ読む人にとってイメージは違うはず。

 

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